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入院の隙間を埋める試み
2024.05.08 Wed
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2011.04.27 Wed
4.25で入院まる3ヶ月。
朝に採血があった。


私の目標は「ひとり暮らしすること」だけど、
退院後も治療を続けるとして、この入院で私はどこまで目指すべきだろう?
今回許可された外泊は「実家で過ごす」パターンの試験外泊である。
退院までに「ひとり暮らし宅での試験外泊」も必要かしら。

私が入院しているのは≪急性期≫病棟。
私はそこにもうここに3ヶ月いる。
(もちろん私より長い間入院している人もいるけど)

この入院で私はどこまで目指すべきだろう。
「光さんはどう考えますか」「光さん次第」って言われちゃうんだろうなーー。
でも≪医療スタッフが考えること≫もあるはずで、それを知りたい。
≪入院施設じゃないとできないこと≫は少なくともクリアしておきたい。
それが知りたい。 
2011.04.22 Fri
寝入り端、退院後の生活を思い描いてみる。
最初のうちは親元で暮らしたほうがいいのかもしれないなと思う。
うまくいくかどうかはわからない。
うまくいかないかもしれない。うまくいくかもしれない。
いろんなパターンがあるだろう。
ただ、わたしひとりの力だけでなく、母の助けを借りることもできる。

次にひとり暮らしに戻ることを考える。
やっぱり夕食が不安だ。
ひとりでフツーの一食を摂っている姿が思い描きづらい。
適当な一食分を選ぶ自信がない。

定食屋に入る選択。
定食屋で一膳を食す選択。
それが正しいのはわかるのだけど
いざ自分で選択できる場に立ったとき、
イメージがわくのは過食食を選択する(過食用食材を買い込む)自分だ。

入院中の今。
食事に関してなにも考えなくていい。
選ばなくていい。買う必要もない。お金のことも(とりあえず)考えなくていい。

退院後の未来。
食事を選ばなくてはならない。店を選び、品を選び、過食するかしないかを選ばなければならない。
私の行動の問題点は過食することもそうだけど、
それだけ大量の食べ物を買うことにもあるんじゃないかしら。

食事を選ぶことも入院中におこなっていたほうがいいと思った。
自分で何を食べるべきか考え、それを選び、食べ、終える。
病院では私は過食嘔吐しないのだから、
食べ終えることはできる。おそらく確実に。
だから、過食嘔吐しないですむ量の食事を考え、それを選ぶことを
入院中に訓練しておいたほうがよい。

朝食と昼食は入院前もほぼうまくいっているので、
病院での生活中に夕食を買う(あるいは外で食べて帰ってくる)練習をしておこうと決めた。
(事前に許可があれば外出時刻を過ぎて帰ってきてもいいっぽいので)

その訓練は1週間じゃ成果が現れないだろうな。
買物という行動がうまくいくことも必要ながら、体重という結果も重要なのだ。
何より、≪自分が選んだ食事≫で、太らないことを自覚しなくてはならない。
もし体重が増加してしまうようであれば、
メニューの選択から量も含めて管理栄養士に指導を仰がなくてはならない。
そこまで終えて、退院したほうが良い。


うーーん。最短でも5月末かなあ。

とか考えてた。 
2011.02.20 Sun
 先週末ぐらいから、朝も昼も眠い。夜も眠れる。
気力も湧かない。日記を書く力も出ない。
やる気がないことでさらに不安になる。

「何か」にがんばりたいと思う。
「何かにがんばりたい」と思う。

何にがんばりたいのかわからないし、
いざがんばることを考えると、しんどい。
しんどい。
始める前の、始めようと考える段階で、しんどい。

私は、中学生で「学校に行くのがしんどい」と言い出してから、
しんどいこと、めんどくさいことを排除して生活してきた。
だから、そもそもがんばりかたを身につけていないんじゃないか、と思う。


私は、今こそ、がんばらなければならないんじゃないか?
ここでがんばり始めないと、ずっとこのままなんじゃないだろうか。

それとも、この気力の低下は回復するものなのか。
いつか、私にやる気というのは生まれるのか。
待ってていいのだろうか。

ずっとこのままだったら、私の人生はなんだったんだろうって私がつらい。
でも、がんばれない。
がんばろうとできない。

やる気がわかないのは私のせい?これが病気なのか、それとも私の性質なのか。


私の担当看護師のSさんに話をした。訴えた。
「やる気が出なくてつらい。がんばれない」と。

私はがんばっている、らしい。
食生活を整えることに、今は心も身体も必死なのだそうだ。
3食きちんと摂って、生活を送っていることががんばっているんだそうだ。

今までは過食嘔吐でおこなっていた(かもしれない)ガス抜きをやめている。
だから、今探さなければならないのは、がんばることではなくて、
楽になれること・ガス抜きの方法なのだそうだ。

頭では「ああしなきゃ、こうしなきゃ」
「入院中に…」「退院したら…」と考えてしまうのだろうけれど
心も身体も疲れていて、だからきっとしんどいのだ。

ひとりで生活していくためのことを見越して
仕事のことや将来のことを考えてしまうのだろうけれど、
今はまだそういう時期ではなく、
楽しいと思えることは何なのかを見つけてほしい。

退院後、つらくなったときや苦しいときに、
入院中、あれをやっていたら楽しかったな
と思い出す材料を見つけてほしい。

しんどいのだったら休めばいい。寝てもいい。
やる気はきっと出てくるよ。

と言われたものの、
病気のせいだと思っているものが私からなくならなかったら。
病気の私が私の本質だったら。


そんなことを考えている一週間。
今朝起きて、<やたら眠い>状態から脱したことに気づいた。
(起きてだいたいピンときた)
私は鬱っぽくなると眠くなるので、そこから脱することができたのならありがたい。
しかし、やる気に満ちているわけではない。
まだ、スタート地点にも立っていない。

私の「スタート」は退院から始まるのではないだろうか。
管理された生活の中でなら、普通に食事が摂れることはわかった。
入院生活でこれ以上は改善のしようがない。
日常生活でどう実践していくかが課題。だから、入院していても解決しようがない。
入院生活を続けるのはそのスタートを延ばしているだけのような気がする。
2011.02.19 Sat
 2011.2.16
千葉に住んでいるTちゃんがお見舞いに来た。
私にとっては初の面会者。嬉しい。とても嬉しい。

面会室は別の人が利用していたので、診察室で話をした。
Tちゃんに会うのは1年ぶり?
会うのはすごく楽しみだった。
だけど、話が続くか不安だった。
会いたいけど、話したいことがあるわけじゃないから。

Tちゃんとは3時間近く診察室で話した。
盛り上がったわけではない。
2人で静かに話をした。とりとめのないことを。
静かに話ができることが嬉しかった。

病気とは関係のない繋がりが私にあるということ。
病気の私以外の私と接する人がいるということ。
外との接点がちゃんとあることにほっとした。
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