入院の隙間を埋める試み
2011.02.04 Fri
2011.2.3
カウンセリングは外来病棟のある建物の診察室でおこなわれました。
▼カウンセリングを受ける前に考えてノートに書いていたこと
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効率よく治療を受けたい。そのために私が話すべきことは何だろう?
>> しかし、長年続いているものだから、今更焦ったところで仕方ない。
ゆっくりようすを見る・時間をかける必要があるのでは?
私は偏ったところがあるけれど(思い込みが激しいなど)通常の範囲内だと思う。
今の私は心を病んではいないと思う。
過食嘔吐という習慣に依存しているだけではないか?
>>でも父親に対する態度はよく母から「大人げない」と注意される。
例)父親にあいさつしない。
父親が話しかけても最小限以下の返事しかしない。
父親が同じ部屋にいるとイライラする。
父親がいるときの精神状態はあまりよくない。
⇒これは改善すべきことなのか
ずっと嫌ったままでいいのか
私に何らかの努力が必要なのか
父親の「何」が嫌いというわけではない。
父親のことについて心理士さんに言いたいことがあるわけでもない。
だけど、日常の中で一番偏った行動、不安定になることといえば父親に関して、である。
(の続き)
早く退院したいわけではないのに焦っているのはなぜだろう?
(病院にいる限り、過食嘔吐しなくてすみそう。掃除とか家事をしなくてもいい)
●いつまで入院するか分からないのでアパートがそのままであることの危惧…お金の問題
●早く退院して過食したいのか?
→今はそういう気持ちにはならない。
でも、退院後のことを考えると
量を決めずに食べられるという解放感を私はもつだろう。
そしてきっと過食するんだろう。
吐くんだろう、と思っている。
●回復とは?
→「解放感」をセーブできる、ということ?
食事の量を自分でセーブする努力をする気になれる、ということ?
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▼以下、カウンセリング話したこと
※タイムアップでについては言いませんでした。
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「過食嘔吐をやめたい」と「過食嘔吐を続けたい」の相反する気持ち
「マイペースなところ」と「他人や周囲に合わせるところ」の二面性
「効率的」と「じっくり」の迷い
など、反対の気持ちが同時に存在することが会話の中で明確になった(かな)。
今まで「カウンセリングの場に座ってそのとき心にわき上がってくるものを話すほうがいい」という思いがあった。
小説やTVで見たカウンセリングシーンから、
日常的などうでもいいような会話をおこない、その中ではっと本音をもらしてしまう、
とか、どうでもいいような会話の中で、カウンセラーがはっと注目する
というのが刷り込まれているというか。
「どうでもいい話」をすべきではないだろうか、という思いが私にはあった。
しかし、カウンセリングの前に考えていることをノートにまとめていると話を進めやすい。
▼心理士さんの考え
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話を進めやすいことが最良の方法ではないかもしれない。
じっくり自分に向き合うことは大切なことでもあるが、
1人で考えていると、1人よがりになる危険性もある。
せっかく2人いるのだから、2人で考えていくことで開かれていくこともある。
など。
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カウンセリングは外来病棟のある建物の診察室でおこなわれました。
▼カウンセリングを受ける前に考えてノートに書いていたこと
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効率よく治療を受けたい。そのために私が話すべきことは何だろう?
>> しかし、長年続いているものだから、今更焦ったところで仕方ない。
ゆっくりようすを見る・時間をかける必要があるのでは?
私は偏ったところがあるけれど(思い込みが激しいなど)通常の範囲内だと思う。
今の私は心を病んではいないと思う。
過食嘔吐という習慣に依存しているだけではないか?
>>でも父親に対する態度はよく母から「大人げない」と注意される。
例)父親にあいさつしない。
父親が話しかけても最小限以下の返事しかしない。
父親が同じ部屋にいるとイライラする。
父親がいるときの精神状態はあまりよくない。
⇒これは改善すべきことなのか
ずっと嫌ったままでいいのか
私に何らかの努力が必要なのか
父親の「何」が嫌いというわけではない。
- 顔が嫌い
- 生理的に合わない
- いるだけでイライラする
- なんとなく嫌い
父親のことについて心理士さんに言いたいことがあるわけでもない。
だけど、日常の中で一番偏った行動、不安定になることといえば父親に関して、である。
(の続き)
早く退院したいわけではないのに焦っているのはなぜだろう?
(病院にいる限り、過食嘔吐しなくてすみそう。掃除とか家事をしなくてもいい)
●いつまで入院するか分からないのでアパートがそのままであることの危惧…お金の問題
●早く退院して過食したいのか?
→今はそういう気持ちにはならない。
でも、退院後のことを考えると
量を決めずに食べられるという解放感を私はもつだろう。
そしてきっと過食するんだろう。
吐くんだろう、と思っている。
●回復とは?
→「解放感」をセーブできる、ということ?
食事の量を自分でセーブする努力をする気になれる、ということ?
▲--------------
▼以下、カウンセリング話したこと
※タイムアップでについては言いませんでした。
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- 「カウンセリングで話すべきこと」とは何か
私には話したいことがない。
a.<話すべきこと>を話して、効率よく治したい。
b.時間をかけていくことが大事なのではないか
aとbの相反する気持ちがある
普段の生活では、あまり効率重視ではない。
手抜きをしたいし、サボりたい。
あるいは時間をかけても満足いくようにしたい。
- 今までのカウンセリングで感じてきたこと
(カウンセリングは高校3年と大学1回生のとき受けたことがある)
沈黙が嫌(というか勿体ない)で、とりあえず話をつないでいたが、
お金払ってなんで私が話題を提供せなあかんねんと思っていた。
→カウンセリングでは繕う自分がいた
- 私は「世間話」「無駄話」が苦手である
自分で自分のことを考えることが好き
他人には興味がない(他人が自分のことをどう思っているのかは多少気になる)
- 今の入院生活も「繕って」いるのだろうか
現在窮屈だとは思っていない。
しかし、それは入院生活に合わせている(自分を繕っている)のかもしれない?
- 先日受けた心理検査も、自分を繕っている気がした
(これは話しながら、やっぱり深層心理が現れただけかも、と思うところも)
「過食嘔吐をやめたい」と「過食嘔吐を続けたい」の相反する気持ち
「マイペースなところ」と「他人や周囲に合わせるところ」の二面性
「効率的」と「じっくり」の迷い
など、反対の気持ちが同時に存在することが会話の中で明確になった(かな)。
今まで「カウンセリングの場に座ってそのとき心にわき上がってくるものを話すほうがいい」という思いがあった。
小説やTVで見たカウンセリングシーンから、
日常的などうでもいいような会話をおこない、その中ではっと本音をもらしてしまう、
とか、どうでもいいような会話の中で、カウンセラーがはっと注目する
というのが刷り込まれているというか。
「どうでもいい話」をすべきではないだろうか、という思いが私にはあった。
しかし、カウンセリングの前に考えていることをノートにまとめていると話を進めやすい。
▼心理士さんの考え
--------------
話を進めやすいことが最良の方法ではないかもしれない。
じっくり自分に向き合うことは大切なことでもあるが、
1人で考えていると、1人よがりになる危険性もある。
せっかく2人いるのだから、2人で考えていくことで開かれていくこともある。
など。
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